2015年9月30日水曜日

留学準備①

医師の留学先として多いのはやはりアメリカ。僕の友人の多くもアメリカに行きました。

臨床でいくか、研究でいくか、いずれも本やネットで様々な情報を得ることができます。

しかし、スペインとなると、、、?


「本もなしに病気の勉強をするのは、海図も持たずに航海するのと同じである」 William Osler

「海図がないけど、とりあえず航海に出よう。遭難したらその時に考えよう」 KMT


今後、スペインに研究留学する方の海図の一部になれば、と思い施設選び、準備、スペインでの生活、

スペイン語の習得について報告していこうと思います。

まず施設選び。

通常、大学の医局に属していれば、教授や先輩のツテがあり、スムーズに行けます。

私の場合は医局に属しているにも関わらず、そのようなツテが一切ない状況から始まりました。

先日、私の研究テーマについてご紹介致しましたね。

そう、キノロンという抗生物質に耐性を持つインフルエンザ菌についてです。

まずPubMedで同じような研究をしている施設がないか調べてみました。すると、、、2つほど見つけました♪

一つはドイツの山奥、もう一つはバルセロナ。。。この時点でバルセロナに即決です。

早速、メールを送ってみました。文章は友達の奥さん(アメリカ人)に添削してもらいました。甚野、ありがとう。

「ん?スパムメールか?即Delete!」になってもいいように施設長や論文の著者など、複数送った方がいいです。

すると、返事がきたじゃないですか♪ 内容は、、

「ウェルカムですよ。でもウチは国立で、知っての通りスペインの財政はかなりキツいんで、給料は出せません」

とのことでした。

「給料なしでも全然OKです。とりあえず、2週間後に面接行きますね。」

というカンジでトントン拍子に進みました。しかし、面接って、英語もスペイン語も話せへんのにどーしよ。。

今からスペイン語勉強しても間に合わんし、、面接時にはこちらの意思を明確に伝えんといかんなと思い、

現地の通訳を雇いました♪

その結果、無事に面接も終わり、「では9月ごろを目途に準備しましょう」ということでハナシがまとまりました。

さぁ次はVISAの取得です。





2015年9月29日火曜日

バルセロナの信号事情

バルセロナの街はなかなか移動手段が充実しております。

バスやメトロが街中を網羅していて、大概のところはバスで「直通」もしくは「一回乗換」で到達できます。

しかし私の職場までは結構距離があり、「一回乗換」で行けるのですが、徒歩を含めると60分もかかって

しまうのです。昔から、「通勤・通学時間は無駄時間」と信じてやまない私はせっかくの海外生活において、

連日2時間も通勤に費やすことは耐えきれませんでした。。。

その結果、勤務3日目にしてバイクを購入してしまったのです。

バイクだと職場まで約12分♪ 

諸経費を含め10万円ほどかかりましたが、精神衛生面は極めて良好に保たれています。

良くみると、バルセロナはバイク乗りが多いんですねー。



OL風の綺麗なおねーさんがフルフェイスのメットを被り、バイクに乗ってる姿は日本ではまず見かけませんが、

こちらではそれが二人乗りでバンバン走っております。





そして街中いたるところに無料のバイク置き場が設置されており、非常に便利なんですね。

しかし、バルセロナ市内の信号システム、、、かなりイッてしまってます。

3車線道路(前述のDiagonal通り)であっても裏道であっても、何故か信号毎に止まるようになっているのです。

赤で止まっていると、一つ先の信号が青なのです。やっとこっちが青になり、進むと次のが赤になってます。

これが、延々の続くのです。

「これはアカンな。アカン周期にハマっとるな。。」と思い、よく3個目ぐらいで信号無視をするのですが、

もれなく次も赤になり、悪性サイクルから抜け出せません。

また、街中を観察してて興味深いところは、「見切り発車」をする人が極めて多いのです。

「見切り発車」、、、信号がそろそろ青になるだろうと見越してゆるゆると動き始める行為であり、一説によると

特に大阪人に発症しやすい症候群といわれております。 その大阪人の私が言います。。






「お前ら、早すぎ!」




信号に注目すると、「まだ完全に赤やん」って頃から動き始めて、もはや信号無視になっているのです。

やっぱりスペイン人も信号待つのはイヤなんやな。。

カタルーニャ州の役人は独立運動をする前に「交通の停滞は経済の停滞である」ことを自覚し、信号システム

を改善すべきであろう、と思う今日このごろです。




2015年9月26日土曜日

Haemophilus influenzae

今日はまたインフルエンザ菌のハナシをしましょう。

前回はインフルエンザ菌の名前の由来について述べました。

実はコイツ、すごく育ちにくいのです。

実験をするためには培地で菌を育てなければなりませんが、コイツは培養する時に二酸化炭素が必要だったり、

色んな発育因子が必要だったり、かなりめんどくさいヤツなんですね。

(例えばヘミン[Hemin]という因子。発育する時にヘミン[Hemin]を好む[phil]ことからヘモフィルスという名字の由来にもなっています。)

インフルエンザ菌はチョコレート寒天培地という培地で育てるのですが、育ちも悪く、また少し放っておくと死んで

しまうのです。

育ちにくく、死にやすい、でもヒトには悪さをする、というようなヤツです。

また「莢膜」という制服を着ているヤツもいるんですね。この制服はa~f 型まであるんですが、

特に「b」、、、極悪です。長ラン、ボンタンの完全なるヤンキースタイルを醸し出しております。

コイツは小児に侵襲性の感染症を引き起こすのです。いわゆる、「弱いものイジメ」をする、まぁまぁサイアクな

ヤツなんですよ。。。

そうしたことから、このヤンキーに対するワクチンが作られました。

これがあの有名なHib(Haemophilus influenzae type b)ワクチンなんですね。このヒブワクチンのおかげで、

ずいぶんヤンキーが駆除されました。

が、しかし、、、

近年、制服を着ない悪いヤツが蔓延り始めました。抗生物質が効かないヤツです。

いわゆる耐性菌ですね。

この20年で一気に勢力を拡げて参りました。まるでどこかの国のようです。。。

今、この耐性菌を飲み薬で治療できるのはキノロン薬のみでしょう。(ちょっと大げさに言うと)

しかし、しかし、遂にこのキノロン薬にまで耐性を示すインフルエンザ菌が出てきたのです!!

コイツを調べるのが私の研究テーマなんですね。

これまでの研究でわかったことは、、、

① 現在、このキノロン耐性インフルエンザ菌の分離頻度はまだ全体の1%ぐらい

② この1%のヤツらは遺伝子変異を2つ持っている

③ でも遺伝子変異1つの耐性予備群が15%ぐらいおり、また年々増加傾向にある

④ 耐性予備群はすぐに耐性菌(変異2つ)に変化する

でした。

その過程で色んなヤツがいることも判ってきました。例えば、耐性菌のくせに遺伝子変異を持ってないヤツです。

この辺りのことを調べてみようかなーと思い、はるばるバルセロナまでやってきた次第です♪

さぁ、これから楽しくなりそうです♪



2015年9月25日金曜日

La mercè

昨日までLa mercèというお祭りでした。

カタルーニャ州の一番大きな祭りだそうです。

先週からバルセロナのいたるところでイベントが開催されておりました。

例えば、これ。



castellと言うそうです。いわゆる人間ピラミッドですね。

最終日はスペイン広場で花火があがりました。

ものすごいヒト、ヒト、ヒト、もはやスペイン人民共和国になってました・・・。



こんなカンジです。スリからすると、「いらっしゃいませ」状態だったと思います。

何人ほどヤラれたか知りたいものです。。











2015年9月23日水曜日

一応、医者なので、、、

僕の研究テーマであるHaemophilus influenzaeについて少しお話したいと思います。

「ヘモフィルス インフルエンザ」と呼びます。

僕たちのような健康人がかかる感染症の原因菌としてとても重要なバイ菌なんですよ。

頻度としては2番目に多いんです。まぁまぁ重要でしょ?

バイ菌の名前もヒトと同じように名字と名前に分かれます。

コイツはヘモフィルス家のインフルエンザさんってカンジです。

ん? インフルエンザって、、、あの毎年流行りまくっとる・・?? メッチャしんどいやつ?

実は違うんです。

毎年流行ってるインフルエンザはインフルエンザウイルスが原因でこっちは細菌なんですね。

実は全く違う生き物なんです。(ウイルスが生き物かどうかは別として、、)

ハナシがちょっとズレますが、

その昔、1918-19年にインフルエンザがものすごい流行しました。後に「スペインかぜ」と呼ばれる病気です。

人類の3割が感染し、世界中で約5000万人が死亡したとされています。当時、人類は第一次世界大戦を

していたんですね。その大戦で亡くなったヒトが約2000万人とされてますが、スペインかぜはその2倍以上の被害

をもたらしたわけです。一説によると、このスペインかぜが世界大戦を終わらせたとも言われています。

実はこのスペインかぜ、発端はスペインじゃなくアメリカであることがわかっています。

だったら「アメリカかぜ」やろ!、、という気がするんですが、そこはさすがアメリカ人。。

いやいや確かにアメリカから出たけど、実はアメリカのチャイナタウンからでたのよ。だから「中国かぜ」なんよ。

と反論するそうです。。。


インフルエンザの怖いところはインフルエンザ(ウイルス感染)後にバイ菌(細菌)感染症を引き起こしやすくなる

からなんですね。スペインかぜ流行時、人類はまだ抗生物質を持っていませんでした。

抗生物質とは細菌を殺す薬です。当然、ウイルスには効きません。

このスペインかぜで亡くなった方の9割はこの細菌感染症だったそうです。

当時の医学者は必死でこの原因微生物を探ります。スペインかぜ以前にも毎年冬になると同じような病気が

流行していました。インフルエンザで亡くなった方からこのインフルエンザ菌がよく分離されていたことから

「こいつが原因だ」ということになり、「インフルエンザ菌」と名付けられました。語源はラテン語で「影響」を

意味する「influenza」なんですね。本当はインフルエンザウイルスが原因だったのですが、当時ウイルスが

みえる顕微鏡はまだ発明されてなかったのです。後にインフルエンザウイルスが発見され、「実は違うやん」

ということになりましたが、その名残で今もインフルエンザ菌と呼ばれているんですね。

名字のヘモフィルスについては、、、

長くなったので今日はやめましょうねー。







2015年9月22日火曜日

ブログ始めました。

2015年8月からバルセロナにやって参りました。


これを機にブログを始めてみるか!と思い立ち、作ってみました。


一方通行の発信なので、好き勝手にやってみますかね。。


さて、何を書くか・・・。


まず自己紹介から。

都内の某大学病院勤務の37歳内科医、家族は妻、娘、息子がそれぞれ1名ずつおります。

大阪生まれのため、時々大阪弁がでます。

趣味は旅行で、いろんな国に行くのが好きで好きで仕方ありません。街中をあてもなく徘徊し、

現地のヒトたちがどんなものを食べ、どんな生活をしているのかを見るのが特に大好きです。

医師になって13年、臨床にどっぷり浸かっておりましたが、学位取得を機に基礎医学に興味を持ち始めました。

かねてから海外での生活に憧れていたこともあり、この度海外留学を決意しバルセロナにやって参りました!

バルセロナを選んだ理由はノリが良さそうだか、 自分の研究テーマに合致する施設だったからです。

ここにくるまで兎に角、苦労しました。。。いや、ほんまに。

資金集め、VISA発給、引越し・住居・学校の手配、自分ではかなり要領が良い方と思ってたのに、、

また上司を始め、多くの方にご協力頂きました。。この場を借りて御礼申し上げますm(-_-)m


こっちにきて約1か月、徐々に生活にも慣れてきました。

バルセロナは本当に天気がいいですなー。



日曜日で閑散としてます。

雲ひとつない晴天です。















































これは家の前のDiagonal通り。diagonal、、対角の、、という意味かな?

確かにバルセロナの街を対角上に走っていますね。多分一番大きな道ではないでしょうか。

大阪南部でいう、「ニコク」に相当します。

この辺りは治安も日本並みに良く、AM1時ごろでも女の子が一人で歩いてます。

そのぶん家賃も東京の港区並みです。。泣