その昔、キン肉マンにでてきたパルテノン |
キン肉マン世代の小生は実に楽しみにしていたのだが、ブエリング航空のせいで叶わぬ夢となった。。
そして、アテネ・ピレウス港に到着。
乗る船はこれ。
なかなかの大きさである |
小生たちは5人で乗船したため、必然的に2部屋予約しなければならなかった。
知ってのとおり、クルーズ船は部屋のグレードによって代金が大きく異なるのである。
最安値の部屋は船の中心部に位置する窓がない2段ベッドが2つ置かれた奴隷部屋であり、
最高値はスイートルームで、バルコニーで日差し・潮風を浴びながらビールが飲める最上階の貴族部屋である。
予算を抑えるために貴族部屋と奴隷部屋を一つずつ取ることにした。
日中はみんなでバルコニースイートに滞在し、寝るときだけ奴隷部屋に行けば良いのである。
なんと「地球の歩き方 ギリシアとエーゲ海の島々」を港に置き忘れてきたのであった。
行く先々の島での情報が全く得られなくなってしまった。どうしよう。。。
幸いにも仲良くなった日本人新婚カップルさんに借りることができ、iPadで写真を撮りまくった。
そんなこんなで、最初の島「ミコノス島」に到着。
いまひとつである |
晴れていれば、海の青と建物の白のコントラストが映えるのであるが、当然天気は「くもり」である。
ここもいまひとつ |
ミコノス島の風車 |
翌朝、トルコのクシャダシに着港
バルコニーからみた港 |
この街では観光にクルマが必要であったためガイドを雇った。
エフェソス遺跡 |
中心街 |
トルコアイスが食べたくて、探してみたが見当たらず。。
店のヒトに聞くと、3月は寒いから開いてないとのこと。なんてこった。。。
そして、丘の上から、、
クシャダシの街並 |
写真を撮ろうとしたら、何故かガイドのおばさんが真ん中に入ってものすごい笑顔を放ってきました。
革製品の店 |
まず、日本円にして30000円から20000円まで下げてやった。。
店員は「Last price! last price!」と必死に連呼していたが、残念ながら相手はこの私である。。
最終18000円まで押しきり、レジへ向かった。
レジに向かう途中、店員が「やっぱり、19000円はだめ?」と困り果てて訴えてきたため、
大阪人の客には特に気をつけるよう注意を促し、やっぱり18000円で決済してトルコを後にした。。
最後に店員がボソッと「あのアメリカ人は27000円で買ってくれたんだよ。。。」と言っていたのが印象的であった。
次の目的地はパトモス島。
しかし、あまりの高波のためパトモス島に着岸できず、船はロードス島に向かうのであった。
ロードス島でもガイドを雇った。
ここでもう一つマメ知識。どのクルーズでも同じであるが、行く先々での観光は別料金なのである。
しかも船内で受け付けているオプショナルツアーは極めて法外が価格が記されている。
例えば、ロードス島4時間ツアー 1人68€。。。?? 5人で行ったら大変なことになってしまう。。
大丈夫。このようなツアーに申し込む必要は一切ない。
港に降りるとタクシーのおじさんたちが手ぐすねを引いて待っているからだ。
普通にいくとボラれてしまうので、ここでおっさんたちとの交戦方法を伝授したい。
それは、、、「船から最後に降りる」 である。
最後になると、おっさん達も本日の売り上げがゼロになるかどうかの瀬戸際なので、値切りたい放題なのである。
まず、いい値の半額から始めてみよう。。すると両手を広げ半笑いで「それは無理だ」みたいなことをし始めます。
ここですぐに「No, thank you」と言って立ち去る。あれこれ言わず、スッと立ち去ろう。
するとすぐに「Wait, wait !」といって追いかけてくるので、あとは各自の戦闘能力にお任せしたい。
また追いかけてこなくても、大丈夫だ。別のおっさんがすぐに近寄ってくるし、、
しまいにはおっさんたちが並び始める始末である。こうしてぜひ最安値を確保して頂きたい。
ハナシを戻そう。ロードス島である。
旧市街 |
アクロポリスの競技場 |
風が強かったせいかとても寒く、ロードス島は満喫できなかった。。
夕方、クレタ島に向けて出発。
翌朝、クレタ島ヘラクリオンに到着した。ここもガイドを雇った方がよい。
さっそくミノタウロス伝説のクノッソス宮殿へ。
確かに極めて複雑な構造をしていた |
ヘラクリオンの街並み |
ガイドのおじさんは親切にも旧市街を案内してくれました。
すると、なんと、その間にタクシーが駐禁をきられているではありませんか。
小生に値切り倒された上に、駐禁。。。
泣きそうになっていたので、チップを20€あげることにしました。
そして、船はメインイベントのサントリーニ島へ!
サントリーニ島。。。強風のため上陸できず。
遠くにサントリーニの街並みがみえる |
船長が船内放送で必死に言い訳しているのが妙に腹立たしく、
しかし、最終日の揺れはひどいものであった。机の引き出しが勝手に開いてしまうぐらいの揺れである。
家族は当然船酔いのため吐きまくり、飲水もままならず大変であった。
幼少期から祖父、親父に連れられ船に乗り、1級船舶免許を保持している小生でも、食事量が減ってしまった。
そして、楽しみにしていた「エーゲ海クルーズ」もついに終わりを迎えるのである。
続く。
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